筆跡鑑定

 

筆跡鑑定の概要

1.筆者識別と筆者照合

 筆跡鑑定では,筆者識別と筆者照合がある。筆者識別とは,ある複数の人物の中から対象となる文字の筆者が誰であるかを判断するものであり,筆者照合とは,ある筆者が筆記した文字に対して,本当にその筆者が筆記したものかどうかを判別することである。実際の筆跡鑑定に置き換えると,犯罪現場に残された筆跡が,複数の関係者の中のだれの筆跡かを特定するのが筆者識別であり「誰の筆跡か」,これに対して,犯罪現場に残された筆跡が,被疑者の筆跡かどうか「本人の筆跡か否か」を判定するのは筆者照合になる。伝統的鑑定手法では,表現が曖昧であったが,近年,コンピュータを用いた手法の発達により,その表現は明確に分けられる。これらを総合して一般的には筆者認識または筆者認証等と言われている。

2.筆跡個性

 人間の行動や思考には人それぞれに固有の傾向があり,それが個性といわれている。人に個性が見られるのは,その人の幼いころからの生活の中で他人と違った固有の傾向が培われてゆき,それがその人のなかで固定化して個性となっていくからである。私たちが日常書く文字も,幼いころから長い間かかって訓練し,習い覚えたものであるから,筆跡にその人の書きぐせというものが生まれ,それが身に付いてくるのはごく自然のことである。筆跡鑑定では,このような書きぐせのことを筆跡個性と言い,幼いころには,字体を学ぶ段階で指導された文字や感銘を受けた文字に影響されて筆跡個性は一般に固定化していない。しかし,精神的にも肉体的にも成長して人として充実してくると,記載する文字に個性が表れ,筆跡個性も固定化してくる。そして,Aさんは丸みのある文字,Bさんは角張った文字,Cさんは大きめ,Dさんは小さめの文字を書くようになり,人と人との間に個人差を生じるため,筆跡をとおして筆者を識別・照合することができるようになるのである。

3.筆跡の恒常性と稀少性

 筆跡鑑定では,このように固定化した筆跡個性が一人ひとりの中で繰り返し現れることを筆跡の恒常性と言い,固定化された筆跡個性が他人のものと大きくかけ離れていることを筆跡の希少性と呼んでいる。ここでいう筆跡の恒常性とは,同一筆者内で記載する文字が全く変化しないということではなく,変化の幅が小さく,限られた範囲内で変動(筆跡の個人内変動)を示すと言うことである。換言すれば,ある個人はいつも同じような筆跡個性を表すと言うことであり,希には他の筆者に見られないような特異な筆跡個性も存在するということである。
 筆跡個性は文字全体の形ばかりでなく,線や点の形態,位置,字画相互間の長さや間隔,交差や接合部の位置,筆順や運筆方向といったものにも現れていて,それぞれに恒常性や個人差があることが確かめられている。それらのほかに誤字や誤用,仮名遣いあるいは文のくぎり,配字なども書き手の個性として文字の上に現れている。
 一方,一文字中の部分的な筆跡個性はある筆者に固有であるとは限らず,複数の異なる筆者に共通していて,それらは幾つかのグループを形成している。すなわち,一文字中のある部分に限ってみれば,異なる筆者相互間に共通する筆跡個性が存在し,文字全体に個人差が見られるのは,部分的な筆跡個性の組み合わせが筆者相互間で異なっているからである。
 筆跡鑑定は筆跡個性に恒常性や個人差,あるいは希少性があることを前提として行われ,文字の中から検出された筆跡個性によって複数の文書が同一人によって書かれたものか否かを判断する。

4.模倣(もほう)筆跡や韜晦(とうかい)筆跡

 筆跡鑑定が扱う資料の中には模倣(もほう)筆跡や韜晦(とうかい)筆跡などの作為筆跡が存在する。模倣筆跡とは,他人の筆跡を真似て書いた作為筆跡で,他人の筆跡を手本にして字形を真似て書いたもの,他人の筆跡の上に紙を重ねて敷き写したもの,他人の筆跡に似せて薄く下書きをした文字をなぞって書いたものなどがある。模倣筆跡では,他人の文字を真似るための練習の積み重ねが考えられ,そのようなものでは,当然のこととして,手本となった文字に似てくることが予想される。模倣筆跡は,筆者の書字技能に大きく左右されるが,筆跡の検査において露見しない程度に他人の筆跡個性を完全に模倣することは困難であり,至難と考えられている。韜晦筆跡とは,自分の筆跡を隠して書いた作為筆跡で,定規などを用いて書いたものもある。また,悪意ではないが,署名の代筆等で筆者が自分の筆跡を変えて他人の氏名等を記載したものも韜晦筆跡と同様に扱う。韜晦筆跡においても同様で,自己の持つ筆跡個性を完全に隠蔽(いんぺい)することは困難であり,特に,筆者自身が気付いていない筆跡個性は韜晦筆跡の中に検出される。
 すなわち,筆跡鑑定では,筆者の自然の運筆で書かれた文字の検査と共に作為性の有無も検討し,筆者を判定するのである。

5.比較条件

 筆跡鑑定では,原則として字体が同じで,書体も同じか近似する文字で,記載時期ができるだけ近いものを比較対照する。筆記具の種類,あるいは文書の複製方法が多岐にわたっていて,例えば粘性のあるインクのボールペンのように筆記具に固有の特徴が明確に把握できるものがある反面,毛筆と筆ペンのように文字からはその筆記具の識別が困難なものがある。
 また,デジタルフルカラーコピーやファクシミリ文書などでは文字画像が色分解(原稿の画像を紅・藍・黄の3色の画像に撮り分けること。出力の際にそれらの単色画像を重ね合わせて複製画像とする。フルカラーコピーではこれに黒色画像を加えて暗部を補正している。)または二値化されているため,原本が手書き文字であっても,複製された文書上の文字をにわかに原本と同等なものとして扱うことができないものもある2)。
 そのため,法文書分野の筆跡鑑定では,鑑定の対象となる文書がどのような方法で記載され又は複製されたものであるかについて,鑑定の検査以前の問題として検査を行い,比較対照する検体筆跡相互間の書写条件の違いの把握や筆跡鑑定資料としての適性の有無の検討を行っている 。

6.コンピュータによる筆跡鑑定

 近年,コンピュータの発達に伴い,コンピュータを使った検査が従来からの目視による検査と並行して行われるようになった。
文字画像をコンピュータに入力し,文字の大きさを自動的に拡大縮小して一定の大きさに整え,文字を骨格化や外接矩形化して計測することで,目視では困難であった個人内変動の検証や相互間の字画の長さや傾斜角度などの詳細な比較が行える文書鑑定画像処理による検査方法,文字画線の特徴を数値化し,パターン認識や統計処理の技術を応用することにより,文字の形体からの筆者識別や筆者照合を行う筆跡数値解析による検査方法など,今までの目視による検査方法では困難であった,文字の形態の詳細な比較や,筆跡数値解析による筆者識別や照合を行い,目視検査で指摘された特徴を検証し,より客観的で科学的な鑑定が行われている。